新しい日常はリノーマルである

2020/06/25 ブログ

ニューノーマル=新しい日常。

 

この数か月間のコロナとの戦いが、日本国内では緊急事態宣言解除という形で一区切りしました。

もちろんこの戦いは完全に終わったわけではなく、

第二波以降の感染再拡大への備えが必要なのは、共通認識になっています。

 

昨日は私自身の些細なニューノーマル失敗談、ストレスを感じたことを紹介しました。

 

そして最後に

 

ニューノーマルに対して感じるストレスの正体は、

変わることへのストレスであって、

その根底に流れる考え方や具体的な行動についてのストレスではない

 

と書きました。

今日はその続きです。

 

ニューノーマルは、“new normal”のことですね。

 

では、“new normal”の反対の意味を持つ言葉とは何でしょう?

単純に考えると、“old normal”だと思います。

でも本当のところは、“conventional normal”(従来の常態、日常)というのがより正確でしょう。

 

「新しい」⇔「古い」ではなく、「これからの」⇔「これまでの」という意味です。

 

今回、ニューノーマルを過ごす中であらためて気づいた「これまでの日常」とはどんなものだったのでしょうか?

 

たとえば、東京、あるいは大都市への一極集中。

たとえば、満員電車でのオフィス通勤。

たとえば、失われていた家族団らん。

たとえば、利己的で傍若無人なふるまい。

 

 “normal”(正常)の反対語はこれまたカタカナ語になっている”abnormal”(アブノーマル、異常)です。

 

効率と経済性を追求していく中で形成された「これまでの日常(ノーマル)」は

全部が全部本当に「正常(ノーマル)」といえるものでしょうか?

 

人間本来の「正常」から見ればアブノーマルな多くの事柄が

ノーマルだと思い込まされていたことに気づきませんか?

 

ステイホーム時期に問題化したDVやコロナ離婚。

直接引き金となったのは、コロナ感染への恐怖、今後に対する生活不安などでしょう。

しかし、そもそも家族間、夫婦間の信頼や愛情があれば、また違う関わり方、道があったのではないでしょうか。

 

ここで一つ提案です。

ニューノーマルをリノーマルと言い換えてはどうでしょうか?

 

リノーマルとは

アブノーマルな側面を大いにはらんでいることが明らかになった「これまでのノーマル」ではなく、

「人間本来のノーマル」を取り戻す

という意味です。

 

幸いなことに、IT技術の発達により

リモートワーク、通販や宅配サービスの拡大、オンライン授業など

一昔前には考えられなかったコミュニケーション、社会的文化的生活維持の選択肢が広がっています。

 

無論、人間同士のきずなをオンラインだけで築くことはできません。

それでも今ある技術、今後さらに発達していくであろう技術を活用しながら

より人間らしい正常を回復することが可能ではないか、

あるいはより人間らしい回復を目指していきたいという願いを込めた言葉です。

 

今回の自粛期間にオフラインで人と接することの大切さ、ありがたさを知ることができました。

 

便利さと不自由さ、この二つのバランスを保ちながら

今回気づかされた大切なもの、大切にしたいものを

本当に大切にできる生活、社会をつくる好機にしたいものです。

 

そして「本来のノーマルとは、人間らしさの尊重である」という視点でとらえると、

 

ニューノーマルに対して感じるストレスの正体は、

変わることへのストレスであって、

その根底に流れる考え方や具体的な行動についてのストレスではない

 

という前回から繰り返し述べている意味を理解していただけるのではないでしょうか。

 

今回私がニューノーマルに対してストレスを感じるきっかけになったマスクの件も

表面的には「マスクをしなければならない」と息苦しく制約に感じる行動ですが、

感染しない、感染させないという思いやりのはずです。

 

先日の私の失敗を例にとれば、

「半径3.5m以内の人を笑顔にする」「その人たちの笑顔を守りたい」

という気持ちを行動に落とし込んでいれば起こりえなかったでしょう。

 

今後の私たちの行動ひとつひとつが、リノーマルを作ります。

 

そしてこのリノーマルは、

withコロナ/アフターコロナ期、あるいはポストコロナという大きな社会フェーズにおいて

人間らしさを取り戻し、それを維持する原動力になる可能性を秘めています。

 

一度、あなたの感じているストレスをニューノーマルから切り離してください。

 

そのストレス、

コロナ感染の恐怖を感じながら生活している緊張感かもしれません。

現実に多くの人々をむしばみ始めている生活不安によるものかもしれません。

そして今まで慣れ親しんでいた生活ペースの変化に感じているストレスではないですか?

 

コロナは今なお脅威としてすぐそばにあります。

これは逃れられない現実です。

 

それでも生きている限り、歩を前に進めていかなくてはならないのです。

 

社会全体がリノーマルの視点を持つことで

「新しい日常」は一人一人の人間性を大切に扱う契機になるはずです。

 

一人一人がリノーマルの視点を持つことで

「新しい日常」は人間らしさを回復するための大切な作業だと意味づけされるはずです。

 

「ニューノーマル」に感じているストレス、それは産みの苦しみです。

そしてこの産みの苦しみを乗り越えたとき、

ポストコロナは以前よりも愛と思いやりに満たされたより人間らしい時代になるのではないでしょうか。